堀岡 伸司
愛媛県立松山東高校→同志社大学経済学部
1987年 コスモ証券 新卒入社
社会人の第一歩は飛込み営業から。
最初に指定されたエリアが大阪西区の鉄鋼、機械の問屋街だったが、当時街は円高不況の真っ只中でちっとも数字が挙がらず次第にサボりまくるようになる。
そんなある日、サボっていた喫茶店でママとお客が「そこの会社、土地売って何億も入ったらしい」という噂話をしているのを聞いてしまう。
もしや?と思い、その会社にアタックを繰り返したところ、なんと自分でも驚くような大口の株取引の受注に。
このとき、運というものの存在と恐ろしさに気づく。
そんなこともあり、そこそこレベルの証券マンにはなれたものの、その後バブル経済が崩壊。
顧客の資産があっという間に吹っ飛んでしまうという惨事に、自分の仕事の意義を見失いかける。
一応在籍中に新規開拓月間賞というタイトルを3度受賞。(ま、そんな大した賞ではない)
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・1996年、プルデンシャル生命入社
ある日、プルデンシャルの営業所長を名乗る人物から「スカウトです」という怪しい電話が入る。その後、何の疑いも持たず面接を受けホイホイと入社する。
・京都支社・ライフプランナー(営業職)
入社後は社内の表彰基準やMDRT資格基準などをとりあえずクリアし、そこそこレベルの保険営業マンにはなる。
収入も飛躍的に増え、仕事もそれなりに楽しかったが、常に何かに追われているような不安感は消えず。
・2000年春 営業所長に就任
営業は30代でやめるという元々持っていた信念に従い、プレイヤーから営業管理職へキャリアパス。
ゼロから営業所を立ち上げるという仕事に就く。
採用、育成と人生最大のハードワークをこなしたものの、どういうわけかやることなすことすべてが空回り。
報酬も恐ろしいペースで減り続け、あれよあれよという間に借金まみれに。
さすがにメンタル的に追い込まれる。
そんなとき、同僚から「サルでも貸してくれるノンバンクがある」という朗報が入る。
これでなんとかなる、と張り切って融資を申請したところまさかの謝絶の通知が届く。
それを見たとき、一瞬世界が完全停止し頭が真っ白になったが、逆に変な覚悟が決まる。
直感的に「ただ闇雲に頑張るのはやめよ」と決める。
自分は運だけはあると思い出し、運気を下げるようなものを次々と排除する。
仕事に対するスタンスもガラリと変え、やることではなく、やらないことをどんどん増やしていく。すると不思議なことに急激に風向きが変り始める。
有能で可能性のある人材に次々と出会うようになり、彼らのスカウトにも成功する。
気がつくと350以上ある営業所の中で5本の指に入る屈指のチームが出来上がってしまう。
その後、支社長アセスメントを受け合格。
・2006年、営業本部長補佐
肩書はご立派だが、ただの営業本部長のカバン持ち、いわば支社長になるための修業期間。
本社にて数々の社内研修講師をしたり、新規プロジェクトに参画したりする。
そのせいで自分でも呆れるほどプレゼンスキルがアップする。
・2007年、新大阪支社・支社長
支社をゼロから立ち上げるという仕事に就く。
仕事のプレッシャーのせいか、半年もしないうちに原因不明の全身アトピーになってしまうが、思い付きのサウナ通いで何とか克服。
この頃から救いを求めてありとあらゆる本を読むようになる。
その結果、言語化能力に磨きがかかる。
・2011年、関西第一支社・支社長
過去、優秀な女性を何人か採用した実績があるという理由で、女性だけの支社を作るというかなり無謀なプロジェクトのリーダーに抜擢されてしまう。
「絶対に失敗しまっせ!」と進言したものの、プロジェクトはそのままスタート。
一応、支社は立ち上げてみたものの、予想通り2年でプロジェクトは撤収となる。
・2013年、大阪東支社・支社長
お次の仕事は、ガバナンスが崩壊し御家取り潰しの危機に直面した支社の立て直し。
マネージャー陣に反旗を翻し、クーデターを起こしていた支社のメンバーたちをあの手この手で手なずける。その結果、1年足らずで支社のムードがツンドラ状態からお花畑状態に変わる。
就任2年目には支社を7年ぶりに復活入賞させ、ついでに新人入賞率全国1位なども獲得。
・2018年のある日
支社長会議の真っ最中に、「プロに退職はないねん。あるのは引退や!」という入社時にボスに言われた言葉を思い出す。
その言葉に素直に従い、定年を待たずに引退することに決める。
引き止めに来る役員たちに「次はどこへ行くのか?」と詰問され、「とりあえずハローワーク」と答えるものの誰も信用してくれず。
(退職後、西陣ハローワークで失業給付の手続きをする)
営業所長、支社長として約18年のマネージャー歴で、通算51名の営業職の採用、11名の営業所長、2名の支社長の輩出に関わる。
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・今現在のテーマは「還元する」
引退して何の肩書もない一個人になったとき、”おかげさま人生” だったことに改めて気づかされる。
今はその役割を自分が果たそうと考え、コーチングや研修講師を軸にブログやメルマなどを通じて自分の知見の還元活動をしている(つもり)
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・京都市在住の1961年生まれ
・射手座のA型
・動物占いは「社交家のたぬき」
・両手に神秘十字線あり
・カバラ数秘術の運命数は「11」
・今もプルデンシャル生命のファン